まめ知識:結納・縁起物の由来

  高砂人形の由来


  高砂人形  通販商品

         ⇒ 【 コチラ 】
高砂人形(木目込み)

  高砂人形は、長寿 と 夫婦円満 の縁起物です。
  また、(じょう=おじいさん)が持つ熊手には「福をかき集める(財運)」(うば=おばあさん)が持つ箒(ほうき)には「邪気を払う(魔除け)」の意味があり、これは「夫婦ともに助け合い、夫が福(財)を集め、妻が家庭を守り整える」の意味につながります。

  この「尉(じょう)と姥(うば)」の人形は、「高砂やこの浦舟に帆をあげて…」の謡曲(「謡曲」は能の歌詞)で有名なの「高砂」と、能の元となった「相生(あいおい)の松」という伝説に出てくる、「おじいさん」と「おばあさん」の姿をした松の木の精を表わしています。

  松は、古来、神が宿る木とされ、常緑なところから長寿のめでたさを表します。また、雌雄の別があり、夫婦を連想させます。


  「相生の松」とは、黒松(雄松)赤松(雌松)1つの根から生え出た松のことで、格別の神木とされ、縁結び夫婦和合長寿の象徴として尊ばれています。
高砂神社の「相生の松」


  「相生の松」 は、実際に日本各地に点在し、その中でも、兵庫県高砂市の高砂神社にあるものが特に有名です。

  高砂神社に伝わる「相生の松」の伝説は次のようなものです。

  ----------------
  昔、播州(兵庫県)高砂神社の境内に雌雄の幹を左右に分った一本の松が生えたので、これを神木霊松として大切にしていたところ、ある日、伊弉諾尊(イザナギノミコト)・伊弉冊尊(イザナミノミコト)の二神が現れ、「我は今より神霊をこの木に宿し世に夫婦の道を示さん」と告げられました。
  それ以来、人々はこの木を「相生(あいおい)の霊松」と呼ぶとともに、この二神を「尉(じょう)と姥(うば)」と称し、黒松(雄松)には「尉(じょう=伊弉諾尊 イザナギ)」が宿り、赤松(雌松)には「姥(うば=伊弉冊尊イザナミ)」が宿るとして、祀ってきました。
  ----------------
能「高砂」の様子


   の「高砂」は、室町時代の猿楽師である 世阿弥(1363〜1442) によって作られました。
  縁起の良い歌(謡曲)として結婚式などで歌われることが多い作品で、 和歌集「古今集」仮名序 にある 「高砂、住の江の松も、相生の様に覚え」 という一節を題材としています。

  「播州高砂の松と、摂津の国 住吉の松が、離れた土地に生える松同士なのに、一本の木に生えるものと同じように「相生の松」と称される訳を、松の精である老夫婦が語る」という内容です。

  ちなみに、「播州高砂の松」 は、高砂神社(兵庫県高砂市)の松です。ここには実際に「相生の松」があります。
  「摂津の国 住吉の松」 は、住吉大社(大阪市住吉区)の松です。住吉大社には実際の「相生の松」はありませんが、境内の馬場(現在の住吉公園)は、江戸時代までは、海に面した白砂青松の風光明媚の代表地でした。また、大社の南にある住之江は、奈良時代〜平安時代初期には、遣隋使・遣唐使の出発港として、シルクロードにつながる主な国際港であったとのことです。
高砂の掛け軸


  能「高砂」のストーリーは次のようなものです。

  ----------------
  醍醐(だいご)天皇の御世の延喜年間のこと、九州の阿蘇神社に友成(ともなり)という神主がおりました。
  あるとき、友成は、従者を連れて都見物に行く途中、有名な高砂の松を見ようと播磨国(兵庫県)高砂の浦へ立ち寄りました。
  友成がその松を探していると、清らかな佇まいをした一組の老夫婦が、熊手とほうきを持って松の木陰を掃き清めていました。
  友成は老夫婦に「高砂の松と住之江の松は、遠く離れているのに、どうして相生の松というのですか?」とたずねました。
  すると、おじいさんは「この松こそ高砂の松です。遠い住吉の地にある住之江の松と合わせて”相生の松”と呼ばれています。"相生の松"というのは夫婦のようなもので、お互いを思う気持ちがあれば、遠く離れていても心が通じ合うことからそう呼ばれているのですよ。」と答えました。そして『万葉集』の昔のように今の延喜帝の治世に和歌の道が栄えていることを、高砂の松、住之江の松にたとえて賞賛しました。
  また、おばあさんが「和歌の道が栄えるのは、草木をはじめ万物に歌心がこもるからであり、草木の中でも、松は、四季を問わず一千年も緑色をたたえているということで、たいへんおめでたいものです」と語りました。
  友成が「それは、それは。ありがたいお話を聞かせていただきました。ところで、あなた方はどちらの方ですか?」とたずねると、老夫婦は「私達は、高砂と住吉の「相生の松」の精です。住之江で待っていますよ。」と答え、夕波に寄せる岸辺で小船に乗り、そのまま風にまかせて、沖へと姿を消して行きました。
  残された友成の一行は、老夫婦の後を追って、月の出とともに小舟を出し、高砂の浦から一路、住吉へ向かいます。
  住吉の岸に着くと、男体の住吉明神が姿を現しました。月下の住吉明神は、神々しく颯爽と舞い、悪魔を払いのけ、君民の長寿を寿ぎ、平安な世を祝福するのでした。
  ----------------
高砂人形(九谷焼)

   の「高砂」は、縁起がよく美しい詞、清々しい所作と舞いで、能の代表的な祝言曲として、広く人々に親しまれており、婚礼やお祝い事の席で謡われることが多いです。

  高砂人形は、の「高砂」にちなみ、能を舞う装束を着て、「住吉と高砂の相生の松の精が互いの長寿と夫婦和合を祝い舞う姿」をしています。

  高砂人形を飾るときは、(じょう=おじいさん)を向かって(うば=おばあさん)を向かってに飾ります。
  お互いに少し内側向きに置くと、仲の良い感じに見えます。
  尉(じょう)が熊手、姥(うば)が箒(ほうき)を持ち、熊手も箒も、頭を下にして持ちます。
  道具の配置は、「お前百まで(掃くまで)わしゃ九十九まで(熊手)」と覚えます。


  高砂人形は、幸せに年を重ねた理想的な夫婦の姿の象徴として、大変縁起の良い物です。
  結納品の一つとしてよく用いられ、特に関西・近畿地方から西日本では結納の中心に飾られる必需品です。
  結納が済んだ後も、贈られたそのままの姿で永く飾ることができるので、よい記念となります。

  高砂人形  通販商品

         ⇒ 【 コチラ 】